家系図について

私の家系を知る

私の家系を知る

皆さんの家庭には家系図はありますか?よほどの旧家でないかぎり、持っていないのが普通でしょう。
家系図にはその家その家の歴史があります。名前も顔も知らない先祖ですが、生きて恋して笑って泣いてその時代を精一杯行き抜き、そして現在のあなたに繋がっているのです。百年前にあなたそっくりな先祖がいたかも知れません。そのような思いで家系図を見るとご先祖お一人お一人の生き様も見えてきそうです。
 さて「歴史は繰り返す」ということばがありますが、家の歴史もまた然りです。過去に起きた出来事が不思議に繰り返し起きているのです。たとえば、親が再婚であれば、子も再縁になるケースが多いのです。逆にシングルをとおした伯父や伯母がいれば、良縁に恵まれない子孫が出やすいのです。また逆縁のような不幸な出来事も不思議に繰り返し起きています。
人は時にこれを「因縁」という言葉で片付けてしまい、不可抗力として諦めるか、神仏の加護に頼ります。しかし、歴史は繰り返すのですから、過去や現在の出来事は、今後一切、未来では起きないという保証はないのです。家系因縁は遺伝子のように子孫に継承されるようです。映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」ではないですが、過去を変えれば未来は変わります。そのかわり自分自身の存在もなくなります。映画のように過去を変えることはできませんが、過去を検証し、未来を予測することはできます。それが家系図学です。家系図学を修得すれば家運の軌道修正ができ、子孫の永続と繁栄に寄与できるでしょう。まずそこで皆さんもご自分の家系図を作ってみませんか?そう難しいことではありませんのでトライされてはいかがでしょう。家系図を作るための資料は次のとおりです。

1.ご自分の戸籍謄本一通(独身の方は親の戸籍謄本一通)をとる。

本籍地が遠隔地の場合、郵便で請求できますので役所に問い合わせてください。
上記謄本が取れれば、前戸主や旧本籍地も分かりますので、さかのぼってとれるだけ古い戸主の戸籍謄本をもれなく請求して下さい。除籍になっても八十年間は本籍地の役所に保管されております。

2.お墓や仏壇で先祖の戒名(法名)を調査する。

3.戒名(法名)の不明部分は檀那寺の過去帳で調査する。

以上の資料が揃えば家系図を作ることができます。さあ、サンプルを参考にして書いてみましょう。

●生年月日
●入籍年月日
●家督相続年月日
●分家年月日
●隠居(隠穏)年月日
●婚姻年月日
●協議離婚年月日
●復籍年月日
●死亡年月日

※上記は必ず記入しましょう。

幸せを運ぶ家系

幸せを運ぶ家系

以下は岐阜県にいらっしゃる徳風会の先生から聞いたお話です。
ある日墓相を見に行かれたところ、十人ほどおいでになっており一緒に墓を見て行かれたのです。九人までは先生がおっしゃった通りに家庭がなっており、皆びっくりなさったそうです。一人だけ言われた通りになっていない墓の持ち主がありました。皆を集めてその墓の事を話されました。
「墓の相からいえば、子供無く財無く無縁になる家です」と言われましたが、その家は家運よく子供にも恵まれ、一家健康で何一つ不足のない家だったのです。先生は言われました。 「あなたの家には、人がなかなかできない陰徳積んでいる人があるはずです」さらによく聞かれますと、昔のお金で毎月五円ほどドジョウを買い、毎月先祖の命日に、二十五年間放生会をされ、人のとらない川に流しておられた家なのです。どのような生物でも死ぬところを助けてもらうことは、何物にも代え難いうれしさだと思います。なるほどと十人の方が得心されたそうです。

不運を呼ぶ家系

「変死は変死を呼ぶ」ということは家系図を見ていると断言できます。一軒の家で代々自殺、事故死、溺死というように変死が続く場合があります。これなどは正常な家になるまでには、お墓や仏壇での供養だけでは足りないらしく、長い年月がかかってしまいます。
また、今までは素直に家系が流れてきて、ややこしい家ではないのに突然自殺者が出てしまうことがあります。これは傍系筋の因縁や自己因縁によって金銭問題、異性問題(色情因縁)、現在住んでいる家・土地(以前に変死があった物件や墓地の整理など)が絡んでいる場合が大変多いと言えます。
とくに金銭問題は本人しか知らない場合が多く、一人で抱えているうちに取り返しのつかない事態にまで心を追い詰めてしまうので、家族の理解と協力が必要不可欠になります。
恋愛から幸せな家庭を築いていく方もたくさんいらっしゃいますが、恋愛の果てに命を絶ってしまうケースもあります。この場合、相手の亡くなった年齢に子ども、孫が同じことをしてしまう場合があります。
(また、相手が自分を恨んで亡くなった場合は、自分もノイローゼ気味になって命を絶ってしまうこともあります。これなどは因果応報の世界ということになりましょう。私が「生き様が大切ですよ」「自己因縁をつくるなら良い自己因縁をつくりましょう」と言っている意味がここにもあるのです。)